高分子 Vol. 43, p20 (1994)より
その昔、海外旅行は庶民にとっては夢であった。私がうぶな大学生だった頃もアメリカ留学などまさしく夢の夢であったが、4年の卒業研究でお世話になった恩師の計らいで、その夢はいとも簡単に実現してしまった。
もう一人の尊敬する恩師であるY. Okamoto教授は40数年前にアメリカに渡られ、現在ではブルックリンにて教授として活躍しておられる。40年前にはマクドナルドのハンバーガーなどなく、渡航は船で1ケ月もかかったのである。教授の師であるPardue大学のH.C. Brown教授はノーベル化学賞受賞者として有名であるが、その昔結婚されたときはポケットに25セント玉が一つあっただけだったという。今ではポスドクを十数名かかえ、論文数も今のペースで行けば2000年には2000報になるらしい。驚きである。また、私が大学院に在籍していたころ、確かH. Mark先生は80歳をはるかに越えられていたが、研究に対する情熱は冷めないようで、毎日大学に来られ、セミナーがあるといつも一番前で聴講され質問されていた。他の教授たちも先生にかかってはYoung Kidsなのである。
私がPolytechnic大学(通称ブルックリンポリ)に在籍した5年間、このように偉大な研究者に出会うことができた。この人達は私に刺激と目標と夢を与えてくれたが、当時の私にとっては雲の上の人のように感じたものである。人類が進歩するためには弟子は師を越え、子は親を越えなければならないと考えるのであるが、このような人達を越えるにはなみなみならぬ努力とある種の才能が必要であることはいうまでもない。
5年間日本を離れ約5年前現在の職についた頃、経済大国日本の国立大学にもかかわらず、アメリカの市立大学にもはるかに劣る設備に、まるでタイムスリップして30年前に戻ったような驚きと失望を感じた。しかし、このような設備でもやる気と才能と運次第で世界に通用する研究は可能であると信じ、日夜学生に鞭を打つのである。「なせばなる」はずである。私の父は恩師(Junji F.先生)の様な立派な人間になるようにと私を名づけたのであろうが、いずれ私は父を越え、父の恩師をも越えてゆくのである。Dreamではない。
城戸のコメント:うーん、あのころは若かった。