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城戸・笹部・千葉研究室

城戸の独り言

2001年04月02日
【転載】 小野さんのカリフォルニア紀行(その9)

その9 「多からなる一つ」

 

 11月7日の選挙人選挙から世界中を騒がせたアメリカ大統領選挙も、年明け1月20日の共和党のブッシュ新大統領就任式で幕を閉じた。当日の朝、テレビではどの局も厳かな就任式の中継が行われていた。12月12日に下された連邦最高裁判所のフロリダ州最高裁判所判決の破棄決定をゴア陣営が受け入れた事で事実上の決着をみたのだが、司法を巻き込んでの大議論は、日本式の「水面下の調整」に慣れている私にとって新鮮であった。

 


 本当にアメリカ人は訴訟好きというか、議論して白黒の決着をつけるのが好きな国民である。午後のテレビでは、毎日のようにテレビ裁判のような番組をやっている。内容は、親子喧嘩とか夫婦喧嘩のような他人からすればどうでも良いような事なのだが、双方の言い分を闘わせて決着をつける過程を楽しんでいるようである。なぜ、こんなに議論好きなのであろうか。

 


 アメリカのコインを良く見ると、「E PLURIBUS UNUM」(エ・プルリーブス・ウヌム)という文字が刻まれている。これは、「多からなる一つ」と言う意味のラテン語であり、開国の祖と言われるトマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムスらによって1776年に国璽(国の標章として押す印)に選ばれたものである。そして、この言葉は「多くの州の連合でできた一つの政府」という連邦制の精神を表すものとされている。

 


 13の植民地であったアメリカは、1775年のボストン郊外での武力衝突に端を発した戦争を経て、1783年のパリ講和会議でイギリスから独立した。これは、いわば自国政府からの独立開放であって革命といえる。事実、「アメリカ革命American Revolution」という言葉が使われている。植民地の寄り合いが政府と戦って独立を勝ち取ったのだから、改めて別の政府を作って、それに隷属するのでは意味がないとして、強力な中央集権政府に批判的な立場をとり、州それぞれの自治権を主張したのが、トマス・ジェファーソンら反フェデラリストである。

 


 この考え方は、州の自治権にとどまらず、「政府は個々の人民の自由な意思に基づく付託によるもの」という考え方につながる。もともと、植民地会議でパトリック・ヘンリーが「我らに自由を与えよ、しからずんば死を」と叫んで、独立戦争のきっかけとなったのである。事実、合衆国憲法発効の3年後に修正10か条からなる権利章典(人民の具体的権利の保障を定めた憲法の条項)が、外交官としてパリにいたトマス・ジェファーソンら反フェデラリストたちの主張により加えられている。

 


 アメリカで銃器所持が認められていることについては、日本ではマイナスイメージで受け取られている。実際、頻繁に報道される発砲事件のニュースを見るたびに、私などは嫌な気分になって早く日本に帰りたくなる。しかし、銃器の所持は権利章典である修正第2条に定められた憲法上の権利なのである。先日、カリフォルニアに住む温厚な知人が、「アメリカは政府の上に人民がある国だから、政府が人民を裏切る行為をしたときに国民は政府といえども倒さなければならないのだから銃器の所持は当然のこと」と平然として言ったのが印象深い。(なお、修正第2条には、「ミリシア(民兵集団)は、自由な国の安全保障にとって必要であるから」と定められている)

 

 

 このように、アメリカでは「個」を基本としている。離婚が多いのも、国家やコミュニティはおろか家族にさえ制約を受けることで自らの意思で選択できない事が堪えられないからという説明もある。そして、個の実現のために再び新しいパートナーを積極的に求めるというのである。(単にフリーセックスを楽しんでいるのではなく、真剣にパートナーを探しているがゆえの行為だと説明する本を見たが本当だろうか?) 旅行などに出かけると、夫婦二人で旅行しているカップルを良く見かける。手をつないで、何をするのにもいっしょというのが当たり前のようだ。夫婦は人生の50%
を共有するというのが常識らしく、先の大統領選挙でも公式の場では必ず候補は手をつないでいる。エリートで冷たい印象があるとして人気のなかったゴア候補が、夫人に熱烈なキスをしたことで人気が急上昇したということである。 私などは、どうもわざとらしいと思ってしまうのだが、私の妻は、男性が女性にやさしくするのは素晴らしいという。妻をはじめとした女性は「やさしさは、言ってくれなきゃ分からないじゃないの!」と言うし、私をはじめとした日本男性は「口に出さなくても、そのくらい分かってくれよ!」となる。あなたは、どちら派ですか?

 


(つづく)

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