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城戸・笹部・千葉研究室

城戸の独り言

2000年12月08日
【転載】 小野さんのカリフォルニア紀行(その1)

 小野さんとは山形大学ベンチャービジネスラボラトリー(VBL)専任教官(工学部助手)小野浩幸さんのことです。今、ベンチャーの本場アメリカシリコンバレーのスタンフォード大学に滞在され、ベンチャービジネスの何たるかを勉強中。滞在日記をVBLスタッフに送られてます。アメリカに初めて長期滞在する人にとっては参考になるかと思いますので、本人の了解を得てここに掲載させていただきます。文中、城戸が勝手に注釈をつけました。

 

小野さんの略歴:

 

1985年 北海道大学を卒業し、山形県庁入庁、1995年から山形県商工労働観光部工業振興課係長として、45億円のライフサポートテクノロジー振興基金をもとにした産学官共同研究プロジェクトを担当。研究成果の産業界への技術移転(テクノロジートランスファー)には、研究成果のマネージメントなど、プロジェクトスタート時からの戦略が必要であることを痛感し、1996年から科学技術庁のRSP事業を通じて産学コーディネート業務を試行的に開始。

 

1999年 全国初の国立大学と県庁との人事交流により、山形大学ベンチャービジネスラボラトリー専任教官(工学部助手)となり現在に至る(注1)。

 

2000年10月から、スタンフォード大学Visiting Scholar(客員研究員)として、シリコンバレーなどにおける大学からの技術移転をはじめとしたビジネス創出に関する海外先進事例調査のため6ヶ月間の予定でサンノゼ市に滞在。

 


まえがき

 

 小野です。シリコンバレーにて今のところ何とか生きております。「珍道中」を地でいっていますが、一方で各先生が海外で如何に闘っているかということを改めて知った気がします。(すいません、今までは遊びに行っているくらいに考えていました)(注2)

 

 私のようなものにとっては、せっかくの経験ですので自己満足のために少しまとめはじめました。(いつまで長続きするかわかりませんが)
 もし、お仕事に一服の休憩をいれることがありましたらお読みいただき、「バカだなあ小野は」とでも思っていただければ幸いです。

 

 


その1 「はじめての連続」

 

 私にとって海外出張は今回で通算6回目である。海外を飛び回っている商社マンのようにはいかないし、そもそも英会話は大の苦手であるが、少しは慣れてきたかなと思っていた。ところが、決められた日程をこなす出張と家族を連れて短い期間とはいえ暮らそうとするのとでは全く勝手が違う。初日からはじめての経験の連続となった。
 いままで空港で引っかかった事は無いのだが、今後を暗示するかのように、いきなり成田で引っかかってしまった。金属探知機を何度と通過しても金属反応が出てしまうのである。財布を出してもキーホルダーを出しても携帯電話もすべてポケットの中身は出しているのに金属反応が出てしまうのである。いままでは、金属反応が出ることの方が稀だったので理由が思いつかない。仕方なく身体検査を受けることになった。係員の「靴に反応しますね」という言葉ですべてが分かってしまった。今回に限って、共同研究の試験品である安全靴を履いてきたのである。そう、鉄板入りのやつを履いてきたのだった(注3)。

 

 空港での足止めといえば、なんといっても入国審査だろう。J1ビザを取得していたので私の家族一行は無事通過できたのだが、日本からの会社員が足止めをくらってしまったのを目撃してしまった。詳細はこうである。私たちは子供がおとなしく列に並んで待っていることが絶望的なので、他の人の迷惑を避けるために列の最後尾に並んだ。一時間近くも待ったあげく、やっと順番が回ってきたと思ったら、私たちの前で審査が一向に終わる気配を見せなくなってしまった。入国審査官と会社員のやりとりが聞こえてくる範囲では、どうも会社員は入国の目的を正直に「販売のサポート」と言ったことからワーキングビザが必要なケースではないかと疑い始めたようである。日立の社員と言っていたが、私の勝手な想像では、入社まもない彼はサンノゼで開かれるエレクトロトレーディングフェアあたりを手伝うように言われて日本から来たのであろう。入国審査官は、彼が具体的にどのような仕事をするのかは興味は無い。単にビザを必要としない入国に該当するかどうかの判断をしたいのである。もっと明確に言えば、入国審査に際しては、多国籍の人間が入国して自国籍の人間の就労機会を奪ってしまわないかどうかに関心があるのである。したがって、「日本の会社用務で来た」とか、端的には「見本市を見るため」「観光に来た」といえば問題は無いのだろうが、日本人はお役人に対する畏敬心があるので、つい片言の英語で正直に説明しようとして怪しげな言動に見えてしまう。日立の正式な社員であることを示すものを提示できれば大したことではなかったと思うが、名詞も身分証明書も預けた手荷物にあるとなったので別室での再審査となったようである(注4)。

 

 そのおかげで(?)1時間半もかかって入国審査を終え、手荷物引受所でスーツケースを受け取り、レンタカーでホテルに向かうことにした。しかし、どこにもレンタカーのデスクが見当たらない。インフォーメーションカウンターで尋ねると、レンタカーオフィス行き専用のバスに乗らなければならないと言われた。大きな荷物3つと3歳の子供を抱えてバスに乗り降りするのは一苦労であった。サンノゼ国際空港は、サンフランシスコ国際空港と比べて、やたらと広い空港である。レンタカーデスクに並んでレンタカーを借りた。もちろん、左ハンドルの車を運転するなど生まれて初めてである。車が道路の右側を走ると言うのも初めての経験である(注5)。

 

 空港に着いてすぐに運転するというのは、ちょっと度胸が良すぎたかもしれないと後悔しながらも、小さな子連れで荷物も多く、シリコンバレー地域ではどこもホテルは高額で郊外のモーテルを予約していたことから、やむを得ない選択であった。

 

 モーテルの場所はあらかじめインターネットで調べてあった。ところが、走っても走っても、さっぱり目的のところに近づいて行かない。レンタカーオフィスでもらった地図を見ながら、1時間も道に迷って走りつづけた。
 冷や汗は出るは、家族は心配し始めるはで、途方に暮れかけたときに、はたと気がついた。道に表示されている「通り名」は、走っている道ではなく、その交差点と交差する道を示している。ところが、日本にいる感覚で表示されているのが現在走っている道路と錯覚したため、地図と意識が90度ずれていたのである。したがって、いくら地図を見ながら走っても道に迷ってしまったのだった(注6)。それに気がついてしまうと後は簡単だった。入国審査やら何やらで、空港到着後なんと約4時間後にようやくホテルに到着した。長い1日であった。(つづく)

 


注釈:
(1)山形大学工学部では、田舎の大学の割に進んだことをやってまして、県庁との人事交流を昨年から始めました。小野さんが来られ、工学部からもバリバリの優秀な教官が県庁に出向いております。小野さんが期待以上の活躍を見せておられるので、このまま工学部にいてもらおうと言う声も一部上がっております。

 

(2)遊びに行ってるんですけど・・・。

 

(3)うちの学生のダオも、金属のチャラチャラした飾りのついた靴を履いてきて、金属探知器に捕まってました。靴を脱いで靴下であの検知器のゲートをくぐる姿というのは、はっきり言ってみっともないです。おかしいです。バカだなあ小野さんは。

 

(4)この日立の社員らしき人は、このホームページ読んでませんね。普段着だったら「Sightseeing, Seven Days」だし、もし背広だったら「Attending a conference, Seven days」でしょう。

 

(5)渡航する前に日本でも道路の右側を走って慣れておきましょう。

 

(6)バカだなあ小野さんは。

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