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城戸・笹部研究室

城戸の独り言

2002年10月21日
新任のあいさつ

今日、たまたま引き出しの中を整理していると1989年の「繊維会誌」というのが出てきました。山形大学工学部にはもともと繊維工学科というのがあり、卒業生や関係者に配付する繊維会誌というのがありました。過去形になってるのは、学部の改組により繊維工学科はとうの昔に無くなり、物質工学科を経て現在の機能高分子工学科となったからで、卒業生のすべてが「繊維」と関連性がなくなったからなのです。

1989年、平成元年というのは私が工学部に助手として赴任してきた年で、実はこの号には私の「新任の挨拶」が掲載されています。普通は、学術的な内容のまじめな新任の挨拶が掲載されるのですが、どうも当時から私は不真面目、不謹慎だったようで、この文章から大バカ教授の片りんが垣間見れます。なんだか懐かしいので、恥をしのんでここで紹介させていただきます。


繊維会誌 67巻 1989年(山形大学工学部繊維会)

新任のあいさつ 城戸淳二

この3月に高分子化学科に助手として採用されました。私は生まれも育ちも大阪で、学生時代を早稲田で過ごした後。アメリカに渡りニューヨーク工科大学でPh.D.を取得し、ここ米沢にやって参りました(写真1は記事といっしょに掲載された当時の私)。

東北という所には始めて来たのですが、それまでは山形が日本列島の右か左かも知らず(注1)、また米沢は伊達の城下町だとばかり思っていました(注2)。それだけに今は見るもの聞くものすべて新鮮で毎日楽しく過ごしております。

よく人からニューヨークと米沢じゃえらい違いでしょうと聞かれますが、やはり一番違うのは住んでいる人たちでしょうか。ニューヨークの人たちは常に何か夢を持ち目を輝かせて生き生きとしているのですが、その反面犯罪も多く四六時中パトカーのサイレンが響いています。また路上には多くの職を持たない人がゴロゴロ横たわっています。ここ米沢の人たちはすごく平和そうな顔をしていてのんびりしておられるように思います。こちらに来て一度もパトカーを見たことがありませんし、路上に寝っ転がっているいるのは日頃心労の多いヨッパライの大学助手ぐらいのものでしょうか(注3)。山形には山形美人が多いと聞いて楽しみにしていたのですが、米沢には年ごろの若い女性はおらず、女子高生かおばさんしかいないのが少し残念です(注4)。

専門は高分子金属錯体の合成と応用で主に名前にちなんで希土類金属を扱っております。英語、日本語、大阪弁をしゃべるTrilingualでスキーが大好きな人間です。どうぞよろしくお願いいたします。

脚注
1)はっきり言って、大阪人にとっては東京から東(北?)は、べつの国です。東北6県を言え、なんて言われても新潟や栃木も青森も山形も区別がつかないのです。まして、山形が日本海側に面しているとか、美人がいないなんて知るよしもありません。
2)米沢は上杉の城下町です。なせばなる・・・、は上杉鷹山公の有名なお言葉です。
3)これ、おれのこと。あの頃は金はなかったけど楽しかった~。
4)これは大学近くの銀行の支店を見て感じたこと。今も、この印象は変わらない。不変の法則です。
5)ちなみに、写真2は早稲田の頃の写真です。これも机の中から出てきました。今とあんまり変わらないですね。

当時の城戸 早稲田の頃の城戸
写真1 写真2
 

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