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城戸・笹部・千葉研究室

城戸の独り言

2000年02月24日
中村さんのこと

中村さんといっても中村玉緒さんのことじゃないよ。中村メイコさんでもないよ。元、日亜化学工業の研究員、現在、米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の中村修二さん(45才)のことです。

 

 中村さんのことを知らない人のために簡単に紹介すると、中村さんは青色の発光ダイオードの開発に世界で初めて成功し、続けて紫色の半導体レーザーをも開発したこの分野では超有名人なのである。大企業が莫大な研究費をかけて、大学の権威のある研究室が何年かかっても開発できなかったこの二つの大仕事を徳島の中堅化学メーカーの研究者が一人の部下とたった数年間でやり遂げたのである。しかも、なんのバックグラウンドもないところから独学でやり遂げたのですよ。痛快きわまりない話ではありませんか。

 

 中村さんのおかげでビルにかかっている何とかビジョンとか言う大型テレビがフルカラーになったし、DVDの記録密度が何倍にもなるのです。光の研究分野では有機、無機の壁を越えて中村さんは有名で、日本人でもっともノーベル賞に近い科学者と呼ばれてます。だから世界どこに行ってもNakamuraといえば中村修二さんをさすのです。わかりましたか?

中村修二さん

 

 その中村さんが今年の1月に日亜化学を退職し、カリフォルニア大学の教授に赴任された。この中村さんの転職は今世紀最後の大物の転職として(私が勝手に言ってる)、新聞、週刊誌はもとより学術雑誌「サイエンス」(2月4日号)にも記事が掲載された。(右写真)それくらい大きなニュースだったのである。だから一般の人も知ってたかもしれないね。
 私は一昨年だったかワシントンDCで開催された国際会議で同席する機会があり、中村さんが無機発光ダイオードの講演、私が有機発光ダイオード(有機EL)の講演したのを覚えている。その時の屈託のない笑顔とざっくばらんな性格が印象的であった。日本では有名な科学者といえば、少しばかりエキセントリックであったり、やたらエラソーにしてたりする場合が多いのであるが、非常に親しみやすく一緒に酒でも飲みたくなるタイプの人であった。(ということは日本の大学教授とは酒を飲みたくないように聞こえるがそうじゃないよ。阪大の横山センセとか、城田センセとか、九大の筒井センセとか、有機ELの分野にはいい教授のセンセがいっぱいいるよ)
 それで、その時に、中村さんに「ここまでやって、これから何やるんですか」、と聞くと、「さあねエ」、と答えておられた。たぶん、あの時点で会社ではもはややることはなかったのでしょうなあ。あとは面白くない管理職というところだったのかもしれませんね。けっして企業の管理職をばかにしてるのではなく、私どものような職人には向いてないということですよ。けっして誤解のないよう。
 


 今週の週刊新潮(2月24日号)にも中村さんことが載ってた(だからこの独り言かいてるんやけど)。それによると去年1月に西海岸のある有名大学から誘いを受けたそうであるが、その時は断ったとのこと(西海岸の有名大学というとスタンフォードあたりか)。しかし、年末に考え直し会社をやめる決心をしFA宣言をしたところ、(どういうふうにFA宣言するのかな。教えて欲しいな)米国の企業5社、大学10校から誘いがあったとか。ちなみに日本国内の企業や大学からはいっさい誘いはなかったとのこと。(アホか、日本の大学と企業は。何考えてんねん)中村さん自身も米国の方が研究予算が多いし自由なので、雀の涙ほどの校費しかない日本の大学には行く気が無かったらしい。

 

 ちなみに国立大学の教授一人当たりの校費は約200万円です。私のような教授の前にさらに「助」の字がついたりすると、校費は100万円ちょっとですワ(信じられへんかも知れんけど、これホンマ)。ですからねー、そこから電話代とか切手代とかを払うと、何も残らないわけですよ。出張旅費というのも別にあるけど(大学が負担してくれる旅費ですね)、これは年間約8万円です。たぶん、うちの姪で中学に通う真理ちゃんのお年玉より少ないね。(ちなみに真理ちゃんは奈良県でいちばん水泳がはやいんよ。)8万円だと山形からだと東京に二回出張できるぐらいかな。

 

 それに対してカリフォルニア大学では中村さんのためにまずスタートアップとして5ミリオンドル(約5億円ちょっと)準備し(サイエンス誌より)、その後も日本円で億単位の研究費を保証しているはずである(ゲスのかんぐり)。たぶんサラリーも年棒で3000万~5000万円は提示したでしょう(またまた、ゲスのかんぐり)。週刊新潮によると、ある企業から提示された年棒はオリックスのイチローよりちょっと少ない程度であったという(うひゃあ、ということはなんぼや、おおすぎてわからんぞ)。こりゃ日本の大学に魅力はないわな。誘われてもいかなかったでしょうねえ。私のような凡人でしたら、その何とか言うイチローなみの企業に1年間だけ努めて、日本に帰ってきて伊豆に移り住んで、残りの人生釣り三昧というところですかねえ(オレは荒井注か)。

 

 会社を辞める決心をした理由としてまず第一に、仕事を正当に評価してもらえなかった。そして、給料も上がらなかった。そして今居る場所ではやることが無くなった、ということらしい(最初の二つはなんだか今のおれに似てるぞ)。もう日本には未練がなく、米国に永住するつもりでいるとのこと。これを読んで感動してしまいましたね。久しぶりに。でしょう、中村さんの様なポジションは日本の社会では普通ですよ。45才になって渡米してあちらに骨をうずめるわけですよ。それを支える奥さんもエライねえ。仕事はできても正当に評価されず、アホな上司に嫌気がさす。よくあるパターンじゃないですか。真の仕事好き、研究好きと見ましたね、この人は。どこかの教授が女好きなのとは大違いや。


 私は仕事柄大学の事情に詳しいのでちょっとだけ内情をばらすと、大学でも企業と同じように、というより、より日本的で、人事は年功序列(年序列という人もいる)で、論文数に関係なく給料は横並び、研究費をいくら持ってきても評価されない。いくら学外で学会活動(宗教団体ではなく学術学会ですヨ)に尽くしても学内では評価されない。けど、不満があっても終身雇用で精神的にぬるま湯に使ってしまうと、なかなかやめて新天地(企業)で勝負しようとする人はいないんですよ。だから若くて元気なときに不満があっても年をとってしまうとこの環境が逆にすごち心地よくなってしまいます。多くの年配の先生が昼寝をしているように活動を停止してしまうのはそのせいです(ホントに昼寝してたりして)。また、大学人は、学生時代からずっと大学に残っている人がほとんどで世間知らずが多く(こんなこと言って大丈夫か)、能力的にも企業で通用する人が少ないので(知らんで、もう)、大学をやめて企業に就職する人は滅多にいないのである。企業に引っ張られる人がいないと言ったほうがいいかな。その逆はしばしば見かける。企業の優秀な研究者が大学教授になるというパターンである。大学とは違い企業では(例外にたまに出くわすが)優秀な方が部長や研究所長になられる。だから、そのクラスの人は学術的、人物的にも大学教授として立派にやっていけるのである。今回の中村さんなどこれにピッタリ当てはまる。経験的な法則ですが、「部長さんは教授になれても、教授先生は部長になれない」のである。実際に、大学教授の中でも企業出身のかたがたに優秀で活躍している人が多いよ。これほんと。
 
 中村さんのことで一つ声を大にして「アホかッ」と喝を入れてやりたいのは、日本の大学の学長、学部長に対してである。中村さんのようなノーベル賞級の科学者をどうして自らの大学に招聘しないのか! FA宣言して(ほんとに、どうやったんだろう)、転職するといってるのにどうして見過ごすのか。海外への頭脳の流出でしょうが。特に地元の大学は広い研究室と、特別の待遇を与え教授としてお迎えすべきだったのである(勝手なこといってゴメン)。県の宝でしょう。さっき言ったように、日本の大学での一人当たりの校費は少ないけど、学長は学長裁量経費という特別予算を持っており(確か数千万ぐらいかな)、学長が自由にできるのである。だから、特定の教授に対し数千万の校費を与えることも可能なのである。また、迎える学科の教官が協力して特定の教官の講義の負担をなくすとか、ひろい研究室を提供するとか、できるはずである。どうして、そういうことまでして中村さんのような優秀なノーベル賞級の研究者を海外にミスミスやってしまうのか、その辺が腹立たしい。ほんとに腹立たしい。 


 これができなかった理由はいたってシンプルである。日本社会では「長」とつく職(大学では学長とか学部長、企業では社長とか部長)には調整タイプの人がつくのである。したがって、各学部が満場一致で賛成しないことや、各学科が賛成しないことには学長や学部長はそれがたとえ大学のため、学部のためになることでも積極的にやろうとしない。自分がその職に就いている間はとにかく無事に、平穏に過ごしたいのである。だから改革は望まないのである。リーダーシップを発揮して大学を改革するなんて絶対にしないよ。要するにxxの穴が小さいのである。米国のようにリーダーシップをとれる人間がその社会を引っ張っていくのとまったくの正反対である。小渕総理とクリントン大統領比べてよ。

 

 また、実際の人事は講座制の場合、講座の教授が自分の使い勝手のいい助教授や助手を連れてきたりするもんだから、かならずしもそれが学科のためにならない場合がある。要するに、いまだに個人の都合で人事が決まる場合が多いのである。大学のこと、学部のこと、学科のことを考えてる人はすごーく少ない。だから中村さんは米国の大学しか受け入れられないのである。中村さんに十分広い研究室と、最低限必要なスタートアップの研究費、そして講義を免除する等の特別待遇を提示すれば中村さんは日本に残ったはずである(今度会ったら聞いてみるね)。今は大学教授でも兼業で民間企業の技術指導などできるので、中村さんなら給料面でも中堅企業の社長さんなみには稼げるはずですよ。日本の大学にもリーダーシップのとれる学長がいたらねえ、ああ惜しかった。


 米国の大学では、かつて、いまでもそうだと思うけど、大学の知名度の向上のためフットボールなんかのスポーツでスター選手を高い奨学金で引き抜いたものである。いまは、大学も学術面で生き残りをかけ、スター教授を高給、高研究費で引っ張ってくる、教授が学長より給料が高いなんてザラである。私も米国の友人がこのような引き抜きで大学を移籍し、今は広い教授室を使い潤沢な研究費で羽振りのいい生活をしているのがいる。私と年齢はそう変わらないのに、大学から受ける待遇は天国と地獄ぐらいの差がある(ごめんごめん、地獄ほどひどくないよ、山形大学は)。

 

 まあ、私の業績はたいしたことないし、特に中村さんと比べると月とスッポンのようなもんですからねえ(すぐに噛みつくスッポンですか)。ただ、私も今の大学に勤めて11年、たぶんFAの資格はとれたと思います(そんなもん、だいたいあるんか)。だから、思い切ってより良い条件を提示してくれるところがあることを期待して、今ここに「FA宣言いたします!」。ただし移籍の条件は、教授にしてくれて、ひろ~い研究室つかえて、助教授と助手をとらせてくれて、講義をしなくていい、委員会にでなくていい、研究費がいっぱいあって、給料も中小企業の社長並にあって、朝は重役出勤、昼寝ができて、ティータイムがあって、美人の秘書が二人いて(仕事の秘書と個人的な秘書と)、そして、優秀な学生がいて何も言わなくても実験してくれること。こんなとこ、日本にもアメリカにもないわ。


平成12年2月24日

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